★近代文学文庫目録前書きから★
近代文学文庫について
元山梨大学附属図書館長
西尾 光一
昭和43年6月21日
 近代文学文庫目録の刊行にあたって、文庫設立の事情や収書の過程などについて記したい。
 本文庫の出発は山梨大学開学の時点にまでさかのぼる。昭和24年、開学早々の山梨大学は、数名の教授と一年次の学生がいるだけで、なお生みの苦しみを続けていたが、草創の意気ごみもまた盛なものがあった。わたくしがその年の10月に着任した時には、今日の両学部の校地は一面の焼野原と草ぼうぼうのグランドで、わずかに二、三棟の粗末な木造建築と焼けただれたコンクリート建築が点在していただけであった。
 初代学長安達禎先生は、端的明快に本学の進路を指示された。山梨大学は小さな国立地方大学だが、大学となったからには、学術の上で全日本的であらねばならぬし世界的ともならねばならぬ。同時に、地方大学として、教育や産業の面で地域に密着し県民の役に立つことが肝要である。こういう大学の理念にふさわしい教授をさらに大ぜい招き、日本でもっとも特色のある大学となろうではないかと。先生は、はじめて甲府に来たばかりのわたくしをつかまえて、気魄をこめて説かれ、新しい国文学教室の構成を嘱せられた。
 近代文学研究に令名のある湯地孝氏を主任教授に迎えたいということで、小石川の湯地さんのお宅に何度通ったことであろうか。やっと来ていただけることになって、上池上の安達先生のお宅にお伴した時、湯地さんが、就任の条件のようにして持ち出されたのが、「近代文学文庫」設立の件であった。湯地さん曰く。これからの国文学研究においては、どうしても明治以降の近代文学研究が重視されるようになるであろう。それには基本的な資料研究を確立する必要がある。明治文学に関する資料を系統的に購入収集して、山梨大学に「近代文学文庫」とでもいうべきものをつくるようにさせていただきたい。古典文学に関する古写本や板木の蒐集では、とうてい旧制の大学に及びもつくまいが、近代文学資料なら、新制大学でもやりようによっては、必ず日本有数の蒐集たらしめ得ると思う。安達さん曰く。わかった、やりましょう。ところで、それはだいたい千万単位の仕事ですか、百万単位の仕事ですか。湯地さん曰く。多々益々弁ずです。
 夜ふけて井頭線の永福町駅から杉並区和泉町の自宅に帰る一筋道が、どうしてもまっ直ぐに歩けず、まったくの千鳥足になってしまったのは、当時36歳だったわたくしにとって、後にも先にもないたった一度の経験である。安達先生のお宅でいただいた焼酎の酔が一時に発したためであったのか、その日の安堵と喜悦が身体の平衡感覚まで失なわせてしまったためであったのだろうか。なつかしい思い出である。
 昭和25年4月、湯地教授が着任されて以来、国文学教室は次第に充実発展して今日にいたっているが、「近代文学文庫」としては、その年の八月安達学長の配慮を得て、第一年度分として約1、500冊を購入した。湯地さんの選択は、明治期の浪漫主義系統の作家の作物を中心とし蒐集は初版本を主に、主要かつ稀覯の雑誌類に及んでいた。主要なものに『みだれ髪』・『小扇』・『恋衣』などの初版本をはじめとする与謝野晶子著作関係80点、『明星』の新聞版創刊号以下の全揃、『スバル』のほぼ全揃などがふくまれていた。
 その後、学内の研究や教育の体制が整備するとともに、予算は教室単位に配分されるようになったが、「近代文学文庫」に関しては、学部全体の援助として毎年若干額が学部共通経費の一項に盛られた。また、昭和35年度設備充実費30万円、同40年度特別設備費100万円などの交付をも受けたが、予算の制約があって、はじめに意気ごんだほどには蒐集できていない。それでも、毎年細々ながらも購入をつづけ、今日蔵書数5、000冊を超えた。
 蒐集のめぼしいものをあげると、作家関係のまとまったものでは、尾崎紅葉のほぼ全著作初版本等70点・「金色夜叉」の『読売新聞』切抜(昭和26年度購入)、島崎藤村のほぼ全著作および関係研究書等200点(昭和30年度購入)、谷崎潤一郎の初版本・限定本・自家本等150点(昭和31年度購入)、久保田万太郎のほぼ全著作80点(昭和42年度購入)などがある。雑誌関係では、『花月新誌』・『我楽多文庫』・『帝国文学』(昭和28年の創刊号から明治37年まで)・『朱欒』・『生活と芸術』・『新小説』・『アララギ』などがほぼ全揃で入っている。個々の作品については、一々に挙げきれないが、明治初期の初版本で著名なものとしては、スマイルズ著中村敬宇訳『西国立志篇』(明治4年刊)・成島柳北『柳橋新誌』第2篇(同7年刊)・リットン著丹羽純一郎訳『花柳春話』(同11年刊)・京文舎文京『冬児立闇鴟』(同13年刊)・ステプニヤック著宮崎夢柳訳『虚無党実伝記鬼口秋口秋』(同17年刊)・坪内逍遙『当世書生気質』(同18-19年刊)・末広鉄膓『雪中梅』(同19年刊)・植木枝盛『新体詩歌自由詞林』(同20年刊)などがあり、以後のものにも稀覯のものをかなり多く収めている。
 昭和32年学内に展示したことがあり、昭和37年3月に第一回の目録を印刷配布して学界にも注目されるにいたった。収蔵場所にも苦労し、学内の「水晶庫」に間借りしたり、木造研究室で火災の危険におびえたりしたが、現在は教育学部K号館四階に専用の図書室を配架してある。
 昭和41年3月、湯地教授は停年退官せられ、青山学院大学教授を経て淑徳大学学長となられ現在は、後任の内田道雄助教授が中心になって、整理研究を進めつつある。学外からの研究者の来訪もあり、近代文学関係の卒業論文を書く学生の利用も多くなってきた。
 本学は、教育学部と工学部とが道をへだてて向かいあっており、大学図書館の立地条件としては問題はなく、先年新図書館も建設されたが、内部の充実には今後多大の努力を要する。昨年本年と一般教育関係の指定図書500万円を購入して、一般教育面での学習図書館としての性格や機能は強化された。しかし、専門科目の教育に関する学習面では、両学部の各教室に購入配備される図書に依存することが多い現状である。まして、理工係にしろ人文社会系その他にせよ、大学の名にふさわしい研究施設たるべき図書の整備には、今後どれだけの努力や年月を要することか、気の重くなるような実状である。そのなかにあって「近代文学文庫」は日本文学研究のそのまた一分野に関するものではあるが、大学における研究図書館としての性格を具備した蒐集として、貴重なものになってきている。近代文学関係資料といっても、まことに尨大広汎で「近代文学館」のような国家的事業といえども十分ではない。わが「近代文学文庫」などでは力及びがたい点が多いが、研究というものは、とにかくまず自分が始めない限り、何一つ進むものではないことに思をいたし、今後の拡充に微力をつくす所存である。
 本目録は、本館の収書目録の一環として、国文学教室と協力編纂したものであるが、今後は「漢籍目録」からさらには、「工業書目録」「洋書目録」その他に及びたいと考えている。
 おわりに、今は亡き安達先生の御冥福を祈るとともに、本文庫の充実発展のために多大の御支持と御援助を賜わっている湯地先生はじめ本学内外の諸賢に厚く御礼申し上げたい。